PRFILE

自称、自由奔放な異端料理人。


【プロフィール】

名古屋市昭和区で生まれ育つ。
ご幼少時代は当然ながら近所で有名な神童と噂される。
御器所小学校卒業、 少年ドラゴンズの栄えある一回生
桜山中学校卒業。
中学校時代、英語と技術家庭だけはやたら得意で、それ以外は平均点。
通知票で英語と技術家庭だけは5段階評価の5、あとはオール3という珍記録も。

管理教育で日本一有名なT郷高校卒。人生最大の汚点。
「俺のような個性的な人間を管理できるわけがねえだろ!」
地元の国立大を受験、失敗のため浪人。

浪人中に予備校へ通うため新聞奨学生で資金捻出。
住み込みで一年間の新聞配達。
様々な人たちのるつぼで面白おかしい人間関係を体験。
新聞配達というバイトのおかげで、一日一部の重要性、
雨の日、雪の日、破天荒の日、高熱をだした日なども休むわけにいかず
仕事に対する責任感、その重要性を実感。

1浪後、地元国大に再挑戦するもあえなく失敗、
滑り止めの東京のN大学建築科入学、
建築家を目指す

19才でバッグひとつ上京、友人の下宿に転がり込む。
300人以上のクラスの中でもトップクラスの製図技術を誇る。
極貧だったため、賄い付きの飲食のアルバイトを多数経験。
至極簡単に料理や仕事を覚えてしまい、
どのバイトもすぐに飽きてしまい3ヶ月ぐらいのローテーションで転職を繰り返す。
アルバイトと麻雀のしすぎで大学中退、しばらくフリーターを続ける。

子供の頃から右耳の慢性中耳炎を患っており、
症状の悪化で医師から手術勧告を受ける。
「君の耳は真珠腫といって腫瘍が少しずつ大きくなっていくんだ。
そろそろ手術しないと危険だよ。
顔面神経がやられたり、脳炎になって死んだりする」と宣告される。
22才の時、一回目の生まれて初めての手術。8時間にわたる大手術。
全身麻酔だったため数分うとうとしただけの感覚。

「山本さん」という女性の声で目が覚めると、それはそれは美しい看護婦さんが…
生死をさまよう手術のあとに、天使を見る。
一番綺麗だと思ってた看護婦さんが俺のことを起こしてくれた。
「生きててよかった」
当然ながら右耳は完全なる聴力ゼロ。
ステレオ放送が体験できなくなる。
人間というものは素晴らしい生き物で左耳だけでもあまり不自由なく生きていける。

先生の術後の初診で
「おお、顔が曲がんなかったなぁ、よかった、よかった。
曲がってもおかしくなかったけどな」
一年後、再発の確認のための再手術。
先生は「確認のため」とおっしゃってたけど、俺は再発していたのだと思う。
この時にもまたしても一回目と同様
それはそれは美しい看護婦さんが…
生死をさまよう手術のあとに、またしても天使を見る。
そのときも一番綺麗だと思ってた看護婦さんが俺のことを起こしてくれた。
また、「生きててよかった」

グラフィック系の制作会社に就職、生涯最初で最後のサラリーマン生活を2年半経験。
26才で独立、デザイン制作会社設立。
順風満帆、飛ぶ鳥を落とす勢いで業績拡大。青年社長として上場を目指す。
その後、制作だけに飽きたらず空間クリエイティブや
様々な業態のコンサルティングをこなす。
那須にカート場までオープンさせ運営する。

車の運転が子供の頃から好きで
乗用車はAE82スターレット、カローラFX-GT、セリカGT-FOURと乗り継ぎ
そして、あのBNR32スカイラインGT-R
ありとあらゆるチューニングを試し、ノーマル280馬力のGT-Rを500馬力オーバーの怪物に。
富士スピードウェイでは走行会でエンジンブロー1回(エンジン載せ換え)
その他タービンブロー3回、などなど修理費用甚大。

30歳過ぎ、子供の頃からあこがれだったレース活動をはじめる。
主にカートレースだったが、関東各地を転戦。
仙台菅生サーキット、筑波サーキット、富士スピードウェイなどビッグサーキットも走る。

富士スピードウェイで
肋骨8カ所骨折の大事故を経験。
事故車から這い出し、ふらふらとコースの上を歩いていたところを
後続車にも何度かはねられそうになるも、うまくよけきる。
サーキットに神様を見る。(アイルトンセナ風)
結局、肋骨8カ所の骨折事故にも関わらず肺を傷つけなかったため手術の必要なし。
コルセットのみの治療、肋骨2カ所は完全にずれたまま、くっついちゃった。
今でもさわると肋骨2箇所は凹んだまま。
全治3ヶ月の事故にもかかわらず、たったの3週間で無理やり退院。
その1週間後には別のレースに出場するという快挙。

この頃は美味しいものを食べ、飲みまくり、自らの舌の感性を鍛え上げる。
今の美味しいものを作り続ける探求心とか味覚はこのころに培われる。

33才、それまでのド近眼に嫌気がさし、
当時、ほとんど誰もやったことのなかった
視力回復手術を経験
見事に視力が蘇る。スゴイ!やってよかった。迷ってる人にはお奨めだね。
その後、スポーツ選手や芸能人がやりはじめる。



11年間の会社経営を続けたのち、バブルの崩壊であえなく倒産。

2年後の39才、つぶれる寸前だったごはち亭の運営開始。
青年時代のバイト経験と会社経営時代に鍛え上げた味覚と感性をフルに活用して
創作料理がウリの店としてリニューアルオープン、見事に立ち直らせる。

そして、あの1999年ドラゴンズがリーグ優勝。
トーチュウさんに紹介していただいたこともあって関東のドラファンが続々と集結。
メニューも少しずつ創作料理から名古屋料理へとシフト。
今ではすっかり名古屋料理がメインのお店へと。
2005年には名古屋料理レシピ本
「でらうまドラめし」を出版
さらには「下町の名店」とテレ出演も果たす。


【お気に入り】
総じて勝負事が好き。

●中日ドラゴンズ…名古屋出身なので生まれつき。
●モータースポーツ…60年代からのF-1好き、レース経験もあり。
●格闘技…ボクシング、k-1、PRIDE、空手、ムエタイなどの真剣勝負限定。
●麻雀…基本的にギャンブルは麻雀だけ。他のギャンブルは二十歳までに全て卒業。